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行き詰れば逆転の発想といわれます。問題は、その逆転の支点をどこに置くかだろうと思います。暗い世相を明るく見るとした場合に、どこを支点に明暗を分ければいいのでしょうか。ここに「こころ」の問題があると思います。「こころ」そのものには特定のカタチがありませんが、暗いとか明るいとかの実感があります。それは物理的な現象のとしての明暗ではないはずです。そこでカタチのないままに実在する「こころ」を認めてみると、それは「行き詰まり」を実感させる閉ざされた「こころ」と、無限の可能性を実現する開かれた「こころ」の実感があります。その実感を創造の「よろこび」といい、誕生はその典型だろうと思います。だからおめでとうというのではないでしょうか。そこで生きるということを限りない可能性の実現だと見ると、日々新た、ということになると思うのです。そしてそれを現実にしているのが無限に開かれた「こころ」だろうと思います。意識や感情を超えて根っこというべき「こころ」の作用だともいえます。自然が常に新鮮なのは、その根っこの「こころ」を現実に表しているからではないでしょうか。決して固定されてはいないからです。逆に人間の意識や知識でこうあるべきだと限定すると、それが意識や知識を超えて実在する根っこの「こころ」を閉ざすことになると思われます。だから明暗は、その根っこの「こころ」次第で、閉じるほうへか開くほうへかで決まるのではないでしょうか。
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