|
四国遍路といえば弘法大師、空海だ。昔読んでさっぱり理解出来なかった司馬遼太郎の「空海の風景」を再読。確かに平安初期の人物に迫るには風景とでも称して遠くから眺めるように描くしか出来ないのかも知れないが、どうも隔靴掻痒で一体何を言いたいのか、よく判らないというのが感想だ。この作家の特性である断定癖に付いていけない場面もある。どうして20年の留学期間を勝手に2年弱で帰ってきたのか、そんな短期間で密教の秘儀をよく異人である空海が相伝出来たのか。最澄との確執にももう一つ迫れていないという感が強い。もっと本質的には密教とは何かがさっぱり描けていない点が不満だ。
彼の山師的かつ自己顕示欲の強さが主張されているようだが、そうなのか。梅原猛氏の「空海」を読む。彼は直裁に語っていて快い読後感あり。密教の秘儀について呪術という要素が論よりも宗教的奥義に迫り得るとして触れている点が明快でなるほどと思う。留学期間や最澄との関連については司馬さんと変わらず触れるところ少ないが。自らを省みて「三教指帰」など書名だけは知っているが中身については全く不分明なことを恥じなければならない。
(02/02/26) mo
|
|