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ピッコロバイオリン奏者 セドフさんのコンサート

 投稿者:ピッコロバイオリン研究会メール  投稿日:2009年 5月21日(木)22時31分44秒 i114-181-203-99.s04.a013.ap.plala.or.jp
返信・引用
  セドフさんのことを書いてくださいましてありがとうございます。今年も6月にツアーを予定しております。本澤さんとも29日に成増アクトホールで予定しております。是非、またいらしていただけましたら幸いです。詳細は、http://piccoloviolin.cocolog-nifty.com/blog/ および http://grigorysedukh.narod.ru/photoalbum-new.htmlをご参照頂き、また、掲載していただけましたら幸いです。

http://piccoloviolin.cocolog-nifty.com/blog/ 

 
 

(無題)

 投稿者:物好き  投稿日:2003年10月 5日(日)22時34分24秒 ab250.lip.ttcn.ne.jp
返信・引用
  哲学的?毒舌。いつも楽しみにしています。最近余り更新していないようですね。待っています。  

逆転の発想

 投稿者:コウチャンメール  投稿日:2002年12月10日(火)14時19分47秒 p5144-ip03sasajima.aichi.ocn.ne.jp
返信・引用
  行き詰れば逆転の発想といわれます。問題は、その逆転の支点をどこに置くかだろうと思います。暗い世相を明るく見るとした場合に、どこを支点に明暗を分ければいいのでしょうか。ここに「こころ」の問題があると思います。「こころ」そのものには特定のカタチがありませんが、暗いとか明るいとかの実感があります。それは物理的な現象のとしての明暗ではないはずです。そこでカタチのないままに実在する「こころ」を認めてみると、それは「行き詰まり」を実感させる閉ざされた「こころ」と、無限の可能性を実現する開かれた「こころ」の実感があります。その実感を創造の「よろこび」といい、誕生はその典型だろうと思います。だからおめでとうというのではないでしょうか。そこで生きるということを限りない可能性の実現だと見ると、日々新た、ということになると思うのです。そしてそれを現実にしているのが無限に開かれた「こころ」だろうと思います。意識や感情を超えて根っこというべき「こころ」の作用だともいえます。自然が常に新鮮なのは、その根っこの「こころ」を現実に表しているからではないでしょうか。決して固定されてはいないからです。逆に人間の意識や知識でこうあるべきだと限定すると、それが意識や知識を超えて実在する根っこの「こころ」を閉ざすことになると思われます。だから明暗は、その根っこの「こころ」次第で、閉じるほうへか開くほうへかで決まるのではないでしょうか。

http://ko2.starweb.ne.jp/index2.html

 

松永伍一賛歌

 投稿者:mo   投稿日:2002年 3月 9日(土)14時59分19秒 aa107.lip.ttcn.ne.jp
返信・引用
  松永伍一という詩人をご存知だろうか。今年72歳になる。日本の子守唄、農民詩を集成し、自らも詩人として活躍している。彼は稀代の人寄せ人だ。年上年下の女性に好かれ、あらゆる分野の人士と親しく接する生来の特質を持った人だ。小生の知る限り高橋睦郎氏(詩人)と双璧だ。うらやましい人だ。

彼の交遊録を見るとなんと多くの著名人と肝胆合い照らす交際を作り上げた事と感嘆せざるを得ない。北林谷栄、加藤登紀子、大竹しのぶ、田中寿美子、

川崎洋、坂本繁二郎、田中健、石牟礼道子、丸山豊と彼が人生の光を得た交友の広さ、心配りの見事さには脱帽ものだ。自然体でいながら、人の心を包み込む優しさを持っているからなのだろう。彼の著書から私も常に多くのことを学べる。そこから読書の対象が広がり、新たな人生の愉悦を味わうことが出来る。

「縁ありて人生楽し」「散歩学のすすめ」「老いの品格」「快老のスタイル」等いずれも心に染み入る名著だと思う。 (2002/3/6) mo
 

空海の風景

 投稿者:mo  投稿日:2002年 2月28日(木)20時22分45秒 aa26.lip.ttcn.ne.jp
返信・引用
  四国遍路といえば弘法大師、空海だ。昔読んでさっぱり理解出来なかった司馬遼太郎の「空海の風景」を再読。確かに平安初期の人物に迫るには風景とでも称して遠くから眺めるように描くしか出来ないのかも知れないが、どうも隔靴掻痒で一体何を言いたいのか、よく判らないというのが感想だ。この作家の特性である断定癖に付いていけない場面もある。どうして20年の留学期間を勝手に2年弱で帰ってきたのか、そんな短期間で密教の秘儀をよく異人である空海が相伝出来たのか。最澄との確執にももう一つ迫れていないという感が強い。もっと本質的には密教とは何かがさっぱり描けていない点が不満だ。

彼の山師的かつ自己顕示欲の強さが主張されているようだが、そうなのか。梅原猛氏の「空海」を読む。彼は直裁に語っていて快い読後感あり。密教の秘儀について呪術という要素が論よりも宗教的奥義に迫り得るとして触れている点が明快でなるほどと思う。留学期間や最澄との関連については司馬さんと変わらず触れるところ少ないが。自らを省みて「三教指帰」など書名だけは知っているが中身については全く不分明なことを恥じなければならない。

(02/02/26) mo
 

歩くこと

 投稿者:mo  投稿日:2002年 2月26日(火)09時00分13秒 ao234.lip.ttcn.ne.jp
返信・引用
  四国遍路は約1200キロメートルの距離を歩かねばならない。1日30キロとして
40日だ。自分を見詰めるために、ひたむきに歩き続けることに、その末に同行二人
の無私の世界を実感するために年間20万人近い人が四国を目指すと言う。その内歩き
遍路は2千人弱だそうだ。いつかは自分で歩いて見たいと思っている。先日20キロ
を自宅から歩いて見た。府中から多磨霊園、武蔵野公園、野川公園、ハケの道、中村
研一美術館(大岡昇平の武蔵野夫人の舞台となった場所)、殿ヶ谷戸庭園、お鷹の
道、国分寺跡地、旧鎌倉街道跡、府中少年鑑別所を経て25キロ達成。所要時間約7
時間を要した。しかし、30キロ歩くとなると府中から新宿まで歩く距離だ。北へ向
かえば八王子まで。西を目指せば多摩センターを超える。無心になってひたすら歩く
と不思議なほどに心が空っぽになり、平安で静かな境地にいりびたることが出来る。
悟達というほどではないが、晴朗で透明な涅槃もかくやという世界がほの見えるよう
な気分になる。その後、旬日にして33キロ歩行を達成した。自宅から多摩川へ出
て、沿岸を下流に向かい、ふたすら歩く。土手のサイクリングロードを川風を浴びな
がらのんびり歩く。水鳥が嬉々として遊んでいる。登戸近くで和泉多摩川へ左折し、
成城学園町近くのハケ道を北上する。野川の辺へ出たり、丘上の小道を彷徨ったり、
自由気ままな旅だ。武者小路実篤公園に立ち寄り、品川街道を経て8時間半の歩行を
終える。この調子なら何とか四国遍路は可能かと判断。3月中旬に20日間の予定
で、徳島・高知の2国打ちと呼ばれる「区切り打ち」を実施したいと思う。勤め先の
了解も得て、準備開始。一旦帰京した後、5月中旬から後半の愛媛・香川を巡礼しよ
うと思う。果たして出来るのかは運と体力の問題だ。
(02/2/25) mo

 

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